SoftTennis Network『BRIDGE』
優しく温かくソフトテニスを見つめるぴーさんのブログです。

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一流選手ならば。

ああ、泣いた泣いた。ぐすん。こんばんは。

 餃子を作ったであります。少~しお得意、しそ入り餃子。
玉ねぎみじん切りのところで、泣きました。
小さくて離れている瞳なのに、よくしみました。玉ねぎが。


 さて、前のブログで

>十代のころは、すべてのことを 「・・・・しなければならない」「どうあるべきか」で
>決定していた気がします。
>しかし、年を重ねるにしたがって、「どうあるべきか」よりも
>「・・・・したい」 が物事決定の基準になってきたように思います。

と書きました。


「どうあるべきか」という理想をいつも追求するということは、
とても苦しいことなのだと思います。
別にそんな理想的にならなくても、ふつーに楽しく生きていければいいと、多くの人は思うことでしょう。
私もそのひとりです。前にも書いたとおり、年をとるにつれて「いーじゃないそんなの」って
思うことが増えました。

 しかし、しかしです。
その人の立場が上になればなるほど、「いーじゃないの」と言ってられなくなるのではないでしょうか。

 たとえば部活の中で、学年があがって後輩ができると、
「もう礼儀に気を使わなくていいんだ」「気楽だ」ではないんです。
学年があがるほうが、部全体のことを考えなければいけないので大変なんです。

 団体戦のメンバーに選ばれた。「ああよかった」「うれしい」だけではすまなくて、
選ばれなかった人たちの気持ちも一緒に背負って戦って、勝つことが大命題になります。

 職場でも、同じことです。
責任ある立場につけばつくほど、たったひとつの指示ミスが命とりになったりします。

 家庭でも、夫婦ふたりの時代と、子供ができた時代とでは、
自分の振る舞いや言葉づかいに気をつける度合いが違ってくると思います。
子供が見てますから。

 ソフトテニスの世界でも、試合で勝ち上がっていけばいくほど、
まわりの人たちから注目をあびます。
良いところを学びとろうと、まわりはどんなときでも見ています。

 とくに、小中学生が真似をして恥ずかしくない選手でいてほしい。
強い選手ほど自分を厳しく律して、誰が見ても恥ずかしくない
ソフトテニスの選手として、人としての理想を追い求めてほしいと思うのは、
もう古臭いことなのでしょうか。

 トーナメントを勝ち上がっていく選手は、「自分が負かした相手の分も含めて次またがんばる」
と同時に、
そのような、「みんなの理想に近づく責任があるのだ」と言ったら言い過ぎでしょうか。

 一流といわれている選手に、それにそぐわない振る舞いがあったと聞くたびに、
がっかりさせられます。ただ強けりゃいいってもんじゃない。

なんとなく、そんなことを考えた夜でありました。






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